才能/勘の良さ/最適化について

1月に友人宅に集まったときの5〜さんの提示した疑問は「どうしてスポーツでも楽器でも初めてやるときは無駄な所に力が入ったりするのだろう?初めからうまくできるのが『才能』なのだろうか?」みたいな感じだったろうか?ニュアンス違ったかもしれないけど。

その問い掛けの直接の答えになってないかもしれませんが、最近つらつらと考えるのは「最適化」についてです。

スポーツでも楽器でも仕事でも、何か新しい事にチャレンジする時に、とりあえずは自分の過去の記憶と経験から、似たものを探し出して、脳や筋肉を動かしてみる訳です。

初めからうまくいかない事の方が多いでしょうが、その動作を繰り返す中で、修正を重ねて、その動作に合わせた新しい行動体系が確立されていき、最適化が進む。それが習得や、習熟という概念で表される事の中身でしょう。

初めからうまくできる人と、そうでない人の違いは、一つには自分の筋肉のコントロールができるかできないか、だと思います。どの順番で、どこの筋肉を、どう動かすと、どんな力が出るか。道具を使う行為であれば、その力がどう伝わるのか、という事を把握している事が、体の大きさや筋肉の量とは別の意味で「身体能力が高い」ことだと思います。その下地がある人は、新しい事にチャレンジする時に、その事に固有な要素に対して集中して最適化を図れば良いはずです。

この辺の考え方は養老孟司の著書に良く出てきます。身体をどう使うのか?という事と、脳をどう使うのか?は直結している、という事。「声を出す」事でも、それは声帯や腹筋や唇などの多くの部位の筋肉を、同時にコントロールすることから成り立っている「運動」であり、そうした運動によって出た「音」や「力」が、感覚器官を通して脳に情報としてフィードバックされ、次の運動を調整していく、というループの話が出てきます。

もう一つ、才能に差があるとすれば「仕組みや構造を把握する能力」かと思います。いわゆる「勘が良い」と言われているものです。

上に挙げた「身体能力の高さ」を違う観点から表現しているだけかもしれませんが、人のやっている動作を見て、どこがポイントになるのかを素早く、的確に見抜く能力があると思います。自分で動作をしなくても、他人の動作から、ある程度の脳内シミュレーションができる。他者の運動のフィードバックを自分の脳内にシミュレーションできる、という意味です。

また、「仕組みや構造を把握する能力」について言えば、訓練を重ねて、職人やプロフェッショナルの域に達した人たちは、そうでない人とは違うものを見ています。提示されている情報は同じでも、違う階層の情報や意味を汲み取っている、という事です。

例えば、テレビに映った新人女優を見た時に、ファッションデザイナーと医師では違うものを見て取るでしょう。同じ医師でも、形成外科と産婦人科の医師は違う情報を得ているでしょう。家電メーカーの技術者は、肌色の発色の具合が気になるかもしれません。もっと大雑把に言えば、男女でも、見ているポイントが違ったりします。

このように、同一の情報ソースから、各人が感じ取り、汲み取る意味は違っている訳ですが、それを自分で行う際に役立てるべく、整理・整頓された状態で記憶できること、そして、それを脳内シミュレーションできることが、「勘の良さ」であり、いざ、自分が「最適化」をする時に有効活用できて、あたかも、反復練習をせずに、いきなり上手にできた様に見えるのではないか、と考えます。

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